阪神淡路大震災

淡路を抜かしちゃってつい、「阪神大震災」とか言っちゃうんだけどダメだよね。なんたって淡路あたりが一番すごかったしね。

前日遊んで夜遅く帰ってきて、ようやく寝付いたころに揺れがやってきました。あれは揺れるとかのレベルじゃないね、シャッフルだね。こちとら寝ぼけてるし何が起きたかわからないしでただただ叫んでるだけしか出来ませんでした。で、揺れがおさまったころにゃー電気もガスも来ちゃいない。水すら出なくてトイレがすぐ臭くなる。

家の中、倒れまくって壊れまくって、手のつけようがない。なんでかガラスの破片がそこかしこに散らばってるし。

当日だったのかなあ、マンションの前が幹線道路だったんですが、右(大阪側)の消失点から左(岡山側)の消失点までびっしりと、緊急救命用自動車で真っ赤に埋まっていました。あれはすごかった。一生分の救急車と消防車とパトカーを見たよ。赤いランプがくるくる回ってて、ハリウッドの映画みたいだった。右側と左側と両サイドとも煙が上がってました。右はたぶん、東灘区あたり、左は長田区だったと思う。

次の日くらいから電気はつくようになりました。テレビで倒壊した阪神地区の様子が中継されてて、「あー、うちがあるあたりだ」と思ってたら、外からヘリの音。見上げたら3,4機ほどつらなって、ヘリが飛んでた。

朝方かな、薄暗い時間帯に、三宮あたりをうろうろ歩いてみました。壊れてたこわれてた。家もビルも何もかも壊れてた。そんで道路が割れてた。信号機はついてなかったと思う。なんか知らん水が地面から湧いてた。

その次の日くらいに近所のローソンで有料配給がありました。カップめんとおにぎりと水だったかな。コンビニ店内はからっぽだったよ。街中の自販機も動いてなかったと思う。

私は避難所へは行きませんでした。とにかく外へは出たくなかった。余震が続いて、発生するたびにテレビで震度テロップが出るから、揺れるだけで震度がわかるようになった。つーか揺れすぎ。

実家に帰ろうと思ったんですが、電車が動いてない。親戚が明石に住んでたんで、とりあえず明石まで歩きました。朝、神戸駅にはスーツ姿のサラリーマンがいっぱいいて、こんな日でも会社があるんだーと不思議に思った。でも神戸以外は地震が来てないんだから当然だよね。

というか神戸駅からも電車は出てないのに。バスかなあ。

電車が動いてないのをいいことに、線路内に入って歩いて行きました。ちょっとスタンドバイミーとか思いつつ。でもすぐに砂利で足が痛くなったのでやめました。長田区のあたり、「はだしのゲン」で見たような焼け野原で、まだところどころ煙がのぼっていました。水道管が割れているのか道路から湧き水が出てて、住民がそこで顔を洗っていました。

半日かけて親戚の家にたどりついて、私はひどい風邪を引いて一週間ほど寝込んだあとに、こんどはしっかり電車で実家に戻りました。

帰ったあと新聞で友人が亡くなったことを知りました。友人は20歳でした。


たんすが倒れないように突っ張り棒とかしても、家自体が壊れたら無駄だからね!火事になったら無駄だからね。地震体験車とかに乗って揺れを体験したって意味無いからね。揺れただけで死ぬわけじゃないんだからね。揺れたらいろんなことが起きるから、それが恐いんだからな。地震は「これから揺れるよ」って言って揺れてくれるわけじゃないからさ。ほんとマジで最終的には運だから。