ふぬけのからねこもぬけのからっぽ

ガラスの仮面北島マヤが、オーディション中に何通りもの役の解釈とミニシチュエイション芝居をやってのける場面がある。がらんとしたレストランに、ウェイター(?)がひとり中央へ歩いてきてコップを磨き、柱の時計を見、指を鳴らして店内音楽をかけて、そして退場というシーン。そこに自分を投入して、どんな物語を作りますかっていうやつ。
二次創作同人誌ってまさにそれだよねって思ったよ。入れ物(キャラクタ)は決まっていて、そこにどういう感情を注ぎ込みますかってヤツだよね。同人作家は役者みたいなもんじゃないの?オリジナル作家は監督?

電王の公式読本を少しずつ読んでるんだけど、対談を読むとほとんどみんな、電王のコンセプトに最初は戸惑いを感じていたみたいで、それを正直に(多少露悪的に)吐露してるもんだから、かなりおかしくて笑ってしまう。この手の本で笑わされるなんて思ってもみなかった。春だか夏だかの映画は、靖子が脚本を書いているのなら劇場に見に行こう。そうでないのならDVDで。てか去年の映画のDVDも買ったけど、なんとなく観ようという気持ちになれないで置いてある。公式読本も発売と同時に買ったけど、最近読み始めた。終わりたくないのかな。それか単なる無気力か。

昨日の歌番組で宇多田ヒカルが「鬼平犯科帳萌え(要約)」って言ってて、池波はこうみえて意外と女のファンが多いんだっけね、と思い出した。男がしぶい魅力があるんだか、飯が美味そうにみえるんだか、なんかしらん、幅広い年齢層の女子が池波小説を好きらしいよ。向田邦子も池波(が作中で描く飯w)に萌えてたんじゃなかったっけ、梅安のほうだっけ。ほとんど読んでないから適当な記憶で書いてみた。