オレはノンケだってかまわないで食っちまう男なんだぜ

ほんとうにいまさらなんだけど、ホモの性対象は男でしょ。対象物がノンケかゲイかって、ホモ的にはそうとう障害を感じるわけ?「うわーこいつノンケだぜ、近寄るなキモい」みたいな行動をするわけ?ホモにとって欲情した相手がノンケだったらば、多少はせつないけどノンケだからって嫌悪は感じないんじゃないかと思うけど、ノンケにとって友達だと思ってた男がゲイだったら、そんで自分を性愛の対象と看做していたら、人にもよるけど警戒心を抱くよね。「近寄るなキモい」と思う人も割りと居るよね。

ああ、それか、「俺はノンケです」「じゃあ手を出すのは我慢しとくよ」って引き下がるってこと?優しさ?だとしたら、わざわざ「ノンケだってかまわないで……」って断る阿部ってこれまでも何度かノンケに嫌がられて辛い目を見てるってことなのかな。ある意味威嚇してるのかな。うーん、惚れてまうやろーwだってそこまで警告してもついてきて、なのに「やっぱり俺ノンケなんで無理です」って言われたら、阿部は「そうか、じゃあやめとくよ」って引き下がりそうじゃん。マゾなんかもしれんけど、どっちかというと人の嫌がることを強制しそうなタイプじゃなさそうだし。


なんでさ、このマンガ(くそみそテクニック)はやたらホモが居丈高なんだろう?と思ってたことをいまさら思い出した。結論からいえば、このマンガはホモにとってのファンタジーだからだろうけど。それと、「食っちまう」って言ってるのは阿部という男前で、主人公はミスチルの歌みたいなひょろっとした繊細な青年じゃん、この主人公も言ったらホモじゃん。ホモミーツホモなのに、阿部は「ノンケ」って決め付けてるのが違和感だったよ。このマンガを読んで共感するホモは、自分をホモとは認めたくないのかなと。もしくは、「ノンケの自分が男前のゲイに誘惑されて、無理やりホモセックスをさせられてしまう(ああん♪)」みたいな妄想を抱いているのかなあと。レディコミによくある妄想だなあ。

昨日白洲次郎見てたら、吉田茂が「ケンブリッジホモセクシュアル共産主義の巣窟」とか言ってて、当時からそういう見解が世界中に(日本にまで)広まってるのか、とちょっと笑った。イギリス人の男は西洋人の中ではダントツに綺麗だもんね、イギリス人の女は、まあ、なんだよね、あれだよね。精神的にも肉体的にも自分と同じレベルを求めたら、どうしてもゲイになっちゃうよね。