もう15年だって

阪神大震災からもう15年が経つんだって。年を取るわけだよ。友人だったあの人が生きていたら35歳か。いい大人だよ。いまだに夜寝ててもちょっとした物音で目が覚めるよ。年寄りか。てか今後だんだんと年寄りになるんだから、これでもう一生、熟睡とは無縁な体になってしまったね!こういうのもひょっとしてPTSDだったんだろうか?

ある意味おもしろい体験だったと思う。日常的な場所で重力を無視した揺れを体感できたわけだから。ヘリコプターが映し出す地上から、そのヘリコプターを見上げる体験も、そうそう簡単には出来ないよ。翌日の明け方あたりに三ノ宮近辺を徒歩で徘徊したんだけど(家がその辺だったんで)、あの感覚なんていうかな、死んでる都市。死に絶えた感。アスファルトが割れて水が吹き出してるの。自販機に電源は入ってるんだけど、全部売り切れなの。JRの浜側道路は、向かいのビルが倒壊してて通れないの。三ノ宮の商店街は屋根部分がねじれて壊れて落ちてるからそこも通れねえの。朝方だから人っ子ひとりいやしねえの。生き残ったのが私だけみたいな感覚だよ。あれは不思議な体験だった。ついさっきまで機能していた街が、もうなにもかもダメになってんだよ。そんで誰も居ない。ロケ現場みたいな。
ゆれても死なない家作りが必要だよね。倒壊防止はもちろんだけど、家の中の家具で死んじゃう人も大勢居たわけだから、家具の固定をするとか、そもそも寝室にでっかい家具をいれないとかしないと駄目だよね。あとやっぱ火事に気を付けないとね。東灘区の火事は遠目に見て霧のようだったよ。長田区の火事現場は焼け野原で、空襲ってこんなんかなと思わせた。テレビは全国放送のくせに「東京もこうならないように気を付けないと」的な放送をしてて、マジおまえらは死ねと思った。まだ一週間もたってないのに阪神大震災を過去の教訓にしてんな的な憤慨があった。
命の保証があるんなら、あの震災後の感覚は、特に創作とかする人だったら体験しといたほうがいいと思う。映画とか作る人とかね。あれほんとにすごかったから。いや体験しないほうがいいのか?真実に即した創作物は地味な表現になりそうだし、かといって真実から遠ざかるような表現は体験した後ならなおさら出来なさそうだしな。神戸の街があのまま放置されて15年経ってたら、そうとう素敵な廃墟になったんだろうな、草とかボウボウに生えて。そしたらきっと私は二度と神戸に行けなくなるんだろうけど。辛すぎて。
ちょっとこう、思い出してヘコみかけてたら、うちの猫のひとがようすを見にやってきましたよ。そうだよ、何はさておきこの子らだよなあ。地震が来てもこの子らは、なんとか守ってあげないと。