簡単に「逃げろ」なんていうけど

増える「いじめ自殺」 解決は子ども主体で

柔道をやったこと無い人に「投げられたら受身を取れ」って言うのと一緒で、今まで「逃げる」ということを意識したことが無い人(たいていは子供)にとっては、どういう風にすれば「逃げる」ことになるのかが、わからないのではないか。加えて、「逃げ」たら自分の人生が終わってしまう、と思っている。(終わりはしない、回り道になってしまうことはあるけど)
馬鹿馬鹿しい話かもしれないけど、一度「逃げ方」を生徒に教える必要があるのではなかろうか。「いじめられたと感じたら、‘ここ’に電話してください」的なマニュアルを配る必要があるかもしれない。「逃げ方」「逃げ場所」はいくらあっても多すぎることはない。
ボクシングの亀田さんが、ずっと前の八百長試合でバッシングを受けたことについて「いじめ」だと己のブログに書いたように、「いじめ」の定義って本当に人により違う。あほちゃんにとっては批判や非難が即いじめと映る場合もある。「いじめ」に関しては第三者の判断があればもっといいと思う。逃げたり戦ったり、第三者の介入に頼ったり、いじめの対処法は一概にこれと決められない。

いじめられ続けたらうつ病になる確率は上がるだろう。うつにならずとも、何らかの精神的トラウマにはなる。そういう人に対して、やみくもに「逃げろ」と言ったところで、どこに逃げればいいのかわからなかったらもう、自分で逃げる場所を探す気力もないだろうて。
第一段階としての「こうすればいい」という指針が明確にされればいい。そういう具体例はすぐに役立たずになるだろうが、ないよりはいい。

いじめといっても個人対個人と集団対個人がある。問題にしているのは後者だ。いじめってかリンチだな。集団になると、核になる人間にいじめにつながるきっかけはあってもその周囲を取り巻く人間のいじめに走る原因があいまいになるよな。後付の理由でいじめだすんだろうな。わけわからん。
いじめられたらとりあえず学校に行かない。学校に行かなくても別の場所で勉強することで卒業資格が得られる。だったらいいな。「学校に行かない」選択肢があればいいか。「学校に通わずとも卒業できる」選択肢が。学校に代わるコミュニティを社会が用意できればいい。希望論で終わるのか……。