いろいろと

山田太郎と花ざかりを観てて、私の腐のルーツはこういうモヤモヤっとしたコンテンツからスタートしたんだなあとしみじみ思ったよ。

特に花ざかりの君たちへの中津の芦屋に対する感情(これまで女が恋愛対象だった男が、「男もいけるかも」とカンチガイする)が、いかにも少女マンガ寄りのやおい的アプローチだな。芦屋は男装した女の子で、中津の芦屋への気持ちは実際のところ彼本来の性的アイデンティティーに反するものではないんだが、中津は芦屋を男と認識しながら好意を抱くという、ちょっとゆがんだ感覚だよ。こういうのがボーイズラブの原点だと思った。

対して山田太郎ものがたり、これはヒロインの存在がまさにボーイズラブ的発想だな。ひとりで妄想して暴走して、恋愛に対する(結婚に対する?)打算的な考えはあるけれど、物語の中の誰とも本気の恋愛をしないという、まさに「ウザい」「不要な」「醜い」存在。視聴者の憎しみを引き受ける存在というか、結局その視聴者の分身だからこそ、近親憎悪的な嫌悪を抱かせる存在というのは、いかにもボーイズラブだと思った。
割と面白い存在だと思うけど、ゲイのひともひょっとしたら女というものをこういう存在だと思ってんじゃなかろうか、と勘繰ってしまうくらい、「女」として、なんだか嫌味な印象を受ける。なんでだろうね、隆子はもっと山田に一直線で居て欲しいんだよね。お金とかセレブっぽさとかじゃなくて、気持ちを好きになって欲しいと思ってしまうよ。そういう、「ヒロインに対するしばり」というのがこれまでの放送回のなかではほとんど無かったのが面白いといえば面白かった。
関係ないが、今ほんっっっっっとお笑いがつまんなくてつまんなくて!!!!お笑い芸人がくそつまんなくて、レッドカーペットを付き合いで観ながら、「ツッコミが凡才だからいかん、漫才のキモはツッコミをやる人間の才能にある、ツッコミがキレてないと受けがどんなにぼけても面白くもなんともない!!!」と文句たらたらだった。もうね、どこまで自分が腐なのかっていうね。あえてどことは書かないが。