つづき

夕方、予約が取れたので焼いてきた。昼間(出勤したけど事情を話したら帰れといわれたので帰った)、2回くらい気配を感じた。帰りにヤスコがひざにおいてた遺骨の入ったつぼの入った袋から一瞬こげ茶色の横顔をみた(うちのはサビだったので)。こりゃ精神的にきてるなと思った。
やたらと泣きすぎて、きのうはいつのまにかコンタクトが流れてなくなってたし(ソフトなのに)、今日は今日でコンタクトがたぶん涙に入ってるタンパクでくもって視界が不明瞭だ。なきがらが一番泣けたので、今はそれほどでもない。
こういうので一番重要なのは残された側の気持ちの整理だと思うので、うまく自分を納得させて現状を受け入れたいと思う。基本的に葬儀だとかって残された人間のエゴだよな。悪いとはいわんが。葬儀社の対応(おっさんひとり)は良かった。でもあんまり猫のこと聞くなと思った聞かれるとどうしても涙がとまらんから。でもそこにして良かったと思う。
からだの悪い部分は黒くなって灰が残るそうで、うちのは腰のところと胸のところが黒くなってた。それ以外はきれいな骨だった。
あとペットフードが形を残してて、おっさんがいうには、ペットフードってあんまり体によくなさそうだなと思ってるってさ。いわゆる生肉の動物は焼くと無くなるのに、ペットフードはいつもその形のままで残るから、防腐剤とかいろいろ体に悪いもんが入ってんじゃなかろか(とは直接は言ってないけど、遠まわしに)と。まあ、そうなんだろうな。それと体内のうんことか形のまま焼けて残ってた。あと、焼けるときに遺体が動くそうだが(てかこれよく聞く話)、うちのはほとんど動いてなかった。あごを上に向けてたくらい。
ヤスコがうすいピンクのスイトピーとかすみ草を花束で買って持ってきて、花をひとつづつ切り取って、猫のまわりを埋めてた。これが可愛いからといってた。ヤスコも相当泣いてるのに、なんつか行動の基準が「可愛いから」ってのがよくわからん。ヤスコなりの乗り越え方なんだろうと思って好きなようにさせた。なんつったってあの猫の名付け親だし。

寺はいやだ教会がいいとかぼやいてたけど、それもきれいだし可愛いからだそうで、ヤスコなりの猫への手厚い法要のつもりなんだろうけど、わかんねえなあ。

ただ、今はペットを買う世帯も増えていると聞くし、葬儀系のビジネスチャンスはこういう「可愛い」感覚をつかむってのもありだと思った。やんないけど私は。

残された側の人間が、言い方は悪いけど「スイーツ(笑)」系のひともたくさんいるだろうし。あの手のひとたちは、割と直感でものを考えてるふしがある。あまり体裁とかならわしとか気にしなさそう。それは決して悪いことではなくて、たぶん今そういうひとたちを馬鹿にしているひとたちは、先見の明がないのかもしれないよ。スイーツ(笑)は、着物にぞうりがスタンダードな時代で、着物にブーツ履いちゃうようなひとかもよ。つまり竜馬のことだけど。
なんかでもほんとに、こうやってキー打ってて、ときたま、ふっと気配を感じたりするのは、これまだ猫がいるんだと思っててもいいものだろうか。自分自身が精神的にヤバくなってるんだったら考え物なんだが。霊魂が残ってるって思っててもいいのかな。