猫のこと

パソコン部屋に骨壷を置いて、獣医にもらった花と、ご飯と水を毎日置いて、現場保存は万全で、泣かない時間が長くなってきた。なんか慣れた。ただこうやって猫のことを書くと思い出し泣きをするわけだけども。

自分的には猫のわがままを聞いてやれたと思ってるので、痛手はその分少ない。あとやっぱり、年を取っていくほどに、この手の感受性が鈍くなってきているのを感じる。ひとつに、子供のころと違って大人は決定権がおのれにあるから、自分で決めていろいろと判断をすると、後悔はもちろんするけども、あとをひかない感じがする。

葬儀とか、毎日のお供えとか、そういうのって逝ったものたちへのためじゃなくって、遺されたものたちの心の整理なんだなあ、と実感した。人間相手なら言葉が通じる分、生きてるあいだに思いをぶつけりゃいいんだけどな。
そういえば、骨を拾うとき、手でもいいといわれたので(箸が例の、材木みたいなカクカクで太い長いつかみ辛い箸だったもんで、うまく拾えなくてイライラしてた)手で慎重に拾ったんだけども、割ときれいに骨が焼け残ってたんだけども、さわるとパサパサって崩れそうになるのね。お菓子で源氏ってあるけど、あの感触に似てた(骸骨)。
ヤスコが「このこはうちに来てしあわせだったのかな」というのだが、猫のしあわせってようわからんからな。

こういうとこでこういうこと書いて伝わるのかな、2年前くらいまで、関西大学の図書館前、大きな階段のあるところでうろうろしていたサビ猫(キジ猫?しましまも入ってるからベースがトラ柄のサビなのかな)は、秋のあの日に本当に死にかけていたので、遠く離れた私のうちに電車で連れていきました。もし、関大に通ってる(た)ひとで、あの猫のことを覚えて気にかけてるひとがいたら、あのこは晩年けっこう安泰に暮らしてたって伝えてください。学生からいろいろねだってたのかな?カップめんとかパンとかおにぎりとか肉系のおかずとか、私の食べてるもんに顔をつっこんでくるこでした。